懐かしいあの頃にタイムスリップ
湯田上温泉の古い写真を集めています。
湯田上温泉及び護摩堂山の写真をお持ちの方で、
よろしければこのスペースに写真を展示させてください。
- 末廣館の旧館です。
昭和29年から55年までここで営業していました。その後、現在の場所に移転してきました。写真は昭和40年頃の正面玄関です。伊勢湾台風、第二室戸台風、三八豪雪、新潟地震 などをここで経験しました。
- 湯田上温泉 入り口付近です。昭和三十年代の風景だと思われます。現在国道403号線となっている道路はかつての県道で、まだ舗装もされていません。画面 右手の隅のあたりにバス亭があり新津~加茂 小須戸~加茂 という路線が通っていました。「湯田上温泉」というアーチが掛かっているところが、わずかながら温泉地という感じを出しています。このアーチから500メートルほど奥が、かつて「湯小屋」と呼ばれた、温泉街です。
上野 小菅盛作さん提供
- かつて「湯小屋」と呼ばれた湯田上温泉の中心部にあたる三叉路。急な坂道になっていて、真っ直ぐ登って沢を下りると源泉の湯壷があり、右手に曲がると共同浴場・薬師堂があります。正面の建物は「松屋」さんという旅館でありました。幕末の尊攘派の志士 清河八郎(1830~63)は自身の「西遊草」という道中記のなかで『~村外に至、親鸞上人の旧跡という繋ぎ榧を見る。(中略) 榧寺のかたより湯田上迄立ち戻り、升やなる家にやどる。』と書いています。升やという宿はありませんので、これは「松屋」のまちがいであろうと思われます。昭和三十年代までは この三叉路が子供達のたまり場であり、遊び場でありました。
初音 乾 初子さん提供
- 昭和40年頃に薬師堂の境内で行われていた、温泉祭りに集まった人たちです。仮設のステージを組んで、芸者衆の踊りが披露されたりしたものです。約40年前の光景なので、これだけ人がいながら、名前が確認できるのは、山田地区の乾牛乳屋さんの先代(左隅の白いシャツの男性)だけです。
手前の子供達は、おそらく湯田上地内か近隣の子供のはずですが、誰なのか判明しません。現在50歳前後くらいでしょうか。こういった温泉祭りは昭和45年頃まで続きました。
江川松枝さん提供
- 湯田上温泉の旧共同浴場です。
通称「ゆごや」と呼ばれた旧湯田上温泉街の中心に建っていたもので、薬師堂の下にあったので薬師の湯として人々に親しまれました。昭和36年に火災の為に焼失して、今はありません。この写真は昭和20年前後頃のものだと思われます。
田上町 桑原義次さん提供
- 昭和30年頃の「ゆごや」の風景です。
写っている女性は湯田上温泉で長年芸妓をされていた「とんぼ」姐さんです。姐さんは昭和28年から芸妓としてお座敷に出たそうですから、おそらくその頃に写ったものだと思います。(本人 談)
この写真は吉野屋旅館をされていた中野さんから提供頂いたものです。誰が撮ったものかはわかりませんが、構図もしっかりしているところから、単なるスナップ写真ではないと推測します。この道は急な坂になっていて、そこに宿屋が何軒か連なっており土用の丑の日の頃には据え風呂が並んだということです。
- おそらく、昭和10年代の湯田上温泉入り口の風景です。『湯田上温泉』と彫った石柱のあった場所ということで、撮影場所を推定することはできますが、正確には何処でどういう状況を撮ったものかはわかりません。右から二人目のハッピを着た坊主頭の男性が堀さんの先代であることと、中央のおかっぱの女の子が川村さんであることがわかりますが、あとは特定できません。
江川松枝さん提供
- 新潟まつりか、加茂まつりに湯田上温泉の芸妓が出かけて行った頃の風景です。昭和30年代前半ではないでしょうか。新潟まつりの民謡流しには、湯田上の旅館組合としても昭和50年頃まで参加していたと思います。車の前の男性は置屋「藤の栄」の先代。手前の子供のうち右側の子は現在ホテル小柳の常務野沢さんだそうです。
初音旅館さん提供
- 昭和36年に木造の建物が焼失して、その2年後に建て直された共同浴場です。
二階建て屋上付き。二階はステージ付きの広間になっていました。当時としては近代的な建物であったと思いますが、高度成長期となり各家庭に水道がひかれ、旅館が内風呂を持つようになったことや、車社会に変化する中で駐車場が確保できなかったことなどもあり、昭和49年に株式会社 湯田上薬師の湯は解散いたしました。この写真は温泉祭りの時の風景でしょうか、薬師堂の方角から建物を撮っています。
五十嵐ヨイさん提供